ボタン科ボタン属の落葉小低木で、中国西北部が原産。
同じボタン科の近縁種に、同時実装されたシャクヤクもいるが、
シャクヤクの方は草本で冬には地上部が枯れてしまうのに対して、
ボタンの方は樹木で冬にも茎が枯れずに残る、という違いがある。
ちなみに、現在流通しているボタンの苗はほとんどがシャクヤクの台木に接ぎ木したものである。
これはボタンをそのまま種から育てると、木本性なので開花に大変時間が掛かってしまうが
草本のシャクヤクの場合、種を蒔いて育てても短期間で大きく育つため、これを台木として
ボタンを接ぎ木することで生産性を上げることができる、というのが理由。
ただしシャクヤクは草本なので数年で台木が枯れてしまう、という難点があり
台木が枯れると上のボタンも枯れてしまうため、ボタンの接ぎ木の場合は深植え(継ぎ目を地面に埋める)
をして、ボタンの茎から自分の根が生えてくるようにするのが基本となっている。
(自分の根があれば、台木のシャクヤクが枯れてもボタンは無事に育つことができる)
※バラの接ぎ木の場合は上とは逆で、病気に強い台木から頑健な苗を作るのが目的なので
継ぎ目は地面から離して、継いだ方から自分の根が出て来ないようにするのが一般的。
ボタンの栽培は古代中国で始まったもので、初めは薬用として利用されていたものが
5世紀の南北朝の頃には観賞用として栽培されるようになった、と言われている。
隋の時代には観賞用の品種としていくつかの種類が記録に残されており、やがて唐の時代になって
大ブームが起こり、宋代には広く植えられるようになっていった、という歴史がある。
「牡丹」の名は明の李時珍著「本草綱目」に“牡丹以色丹者為上、雖結子且根上生苗、故謂之牡丹”とあり、
これが現在発見されている最も古い記述とされている。
(それ以前は薬用とされていた時代の名残で「木芍薬」と呼ばれていたようである)
上記の意味は名前の由来の説明で、
「結実もするが根からも生えて無性生殖するので『牡』、花は赤色が多かったので『丹』、故に牡丹と呼ばれるようになった」というような意味となっている。
唐の時代以降、中国ではボタンを「百花の王(花王)」として他のどの花よりも愛好するようになっており
現在でも、梅と並ぶ国花のような存在として広く愛されている。
特に楊貴妃が最も愛した花として名高く、楊貴妃と言えば牡丹というイメージは中国人の間で今でも根強いようである。
ちなみに日本の大手化学・化粧品メーカーの『花王』も、これが社名の由来となっている。
正確には、創業当時の粗悪な国産石鹸と差別化を図るために「顔も洗える石鹸」=「顔石鹸」からのもじりで
ブランド名を「花王」と決めた時に、『将来アジア全域で商売するのなら、花王といえば牡丹だろう』ということで
石鹸の包装箱にボタンの花の絵をあしらうことにした、という流れ。
ただし会社のブランドマークは「美の象徴」の意味で月のマークになっており、今は牡丹のイメージが薄いのが現状である。
日本にボタンが入ってきたのは奈良時代頃と言われており、枕草子や蜻蛉日記にもボタンを描かれているのが見られるが
本格的に栽培されるようになったのは江戸時代の頃からである。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉が生まれたのもこの頃と言われているが、
こちらについてはシャクヤクやユリのページにも説明が載っているので、詳細はそれぞれを参照されたい。
このゲーム内での彼女は、お供にチャウチャウ「ドンロン」をいつも連れているのが見られるが、
これは「獅子」と「牡丹」との関わりが元になっている。
実は古代中国では、エジプトのライオンの話がインド経由で伝わるうちに、やがてライオンが
想像上の霊獣「獅子」と同一視されるようになったのであるが、その獅子のモデルとされているのが
中国原産の犬種「チャウチャウ」だという説があるためである。
(この辺りについては、これだけでもかなり長くなりそうなので、別の小ネタに分けて後で書こうと思うが、、、)
「獅子と牡丹」は、百獣の王=獅子と百花の王=牡丹とを組み合わせるのが縁起が良い、ということで
古くから中国で持て囃された取り合わせであり、やがてそれが日本にも伝わって「唐獅子牡丹」となったものである。
また、日本では牡丹の名前をもつ食べ物がいくつか存在する。
その1つに「ボタン肉」というものがあるが、これは猪肉の隠語で、殺生と獣肉食を禁じられていた江戸時代以前に
表向き禁止されていた肉食を誤魔化すために植物由来の名前を付けて『薬食』という建前にしたものの1つである。
(この系統の隠語には、他にモミジ肉=鹿肉、サクラ肉=馬肉、カシワ肉=鶏肉、などがある)
ボタン肉の由来は、前述の「獅子と牡丹」の縁起に掛けて獅子を猪(シシ)に置き換えたもの。
他にも「ぼた餅」というのは漢字で書くと「牡丹餅」であるが、これと同様の食べ物に「おはぎ(御萩)」があり、
これらの呼び方や、それぞれの細かい区別は現代では地域によって様々な違いがあって、あまり一定しない。
東京(および近郊)出身の人は、すべて「おはぎ」と呼んで「ぼた餅」という言い方をほとんどしなかったりする。
※実は筆者もその1人だが、「棚からぼたもち」ということわざの「ぼたもち」を、子供の頃は理解できなくて
想像上の食べ物のようなものと捉えていて、おはぎとほぼ同じモノだと知ったのはかなり大きくなってからである。。
これらの使い分けについては、いくつもの説があるのが現状だが、その中でも説得力があるものの1つに
- 「御萩」は萩の季節=秋に食べるもの。小豆が採れたての時に作るので、そのまま皮ごと作った粒あんを使う
- 「牡丹餅」は牡丹の季節=春に食べるもの。小豆は冬越しして皮が固くなっているので、皮を取り除いたこしあんを使う
というものがある。
現代では小豆の保存状態も良く、また製法技術も向上して季節による味の違いなども意識する必然性が薄くなっているので
この区分けがあいまいになり、地域ごとの好みで材料の使い分けもバラバラになっていったのではないか、
ということであるが、理由付けも一番ハッキリしていて、個人的にはこの説を推したいところである。。
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