桃源郷へ |
――ベルガモットバレー桃源郷周辺―― |
遠征の帰り道、ふと陽気な声が飛んできた。 |
??? | 「ちょっと、そこ行くお兄さん!」 |
??? | 「良かったら桃源郷寄って行かへん? 可愛い子ぎょ~さんおるでぇ! なんならあ~んなサービスや、こ~んなサービスも……」 |
??? | 「カンナ、その方は騎士団長さんですよ。 あまり粗相のないように」 |
カンナ | 「え、そうなん?あはは、こりゃ失敬~! ……にしても、ナデシコ。なんでそないなこと知っとるん?」 |
ナデシコ | 「騎士団の方には、教え子のオトギリソウがお世話になっていますから。 ……あぁ、申し遅れました」 |
ナデシコ | 「私、桃源郷近くの剣術道場で師範をしています、 ナデシコというものです。どうぞお見知りおきください」 |
カンナ | 「うちは桃源郷の呼び込みやっとるカンナや。 よろしゅうたのんまっせ~!」 |
ナデシコ | 「ここで団長様にお会いできたのも、きっと何かのご縁。 オトギリソウがお世話になっているお礼もしたいですし、 よろしければお茶でも飲みにいらしてください」 |
カンナ | 「ほな、うちはぼちぼち呼び込みに戻ろかな。 団長さんって、えらい稼いどるんやろ? 桃源郷にもいっぱいお金落としてって~や~。ほなな~」 |
招かれざる客 |
――ベルガモットバレー桃源郷中心部旅館「桃源郷」―― |
ハナショウブ | 「いらっしゃいませ。ようこそ桃源郷へ……あら? 珍しいわ、ナデシコちゃんが呼び込みをしてくれるなんて」 |
ナデシコ | 「ち、違いますっ。 こちら、オトギリソウがお世話になっている騎士団の方々で、 お礼を兼ねてお茶でも、と……」 |
ゲッカビジン | 「なるほど、そちらの殿方が……」 |
ハナショウブ | 「お初お目にかかります、団長さん。 私、旅館「桃源郷」の女将ハナショウブと申します」 |
ゲッカビジン | 「桃源郷の花魁、ゲッカビジンにありんす」 |
ハナショウブ | 「今宵は年に一度の七夕祭り。 お茶だけなんてつれないことを仰らないで、 ぜひ遊んでいってくださいな」 |
ナデシコ | 「あ、あ、遊びとかっ! そそそういうの、私のいないところでやってくださいっ!」 |
ゲッカビジン | 「ふふっ、ナデシコはいつまでたってもウブでありんす」 |
カンナ | 「たっ、たたたっ、大変や~! い、いま桃源郷の外から、害虫が攻めてきて…… それももう、こ~んなぎょうさん!」 |
ゲッカビジン | 「よりによってこんな日に……。 わかりました、すぐに行くでありんす」 |
ゲッカビジン | 「団長さんはこちらで……え、団長さんも行かれる? そんな、桃源郷のことは我々自警団にお任せいただければ……」 |
ゲッカビジン | 「……わかりました。確かに、今は遠慮している場合ではありませんね。 お力添え、深く感謝いたします。行きましょう、ナデシコ」 |
ナデシコ | 「はいっ!」 |
カンナ | 「うちは桃源郷のみんなに避難するよう伝えてくるわ~!」 |
ハナショウブ | 「それでは、私も……」 |
ゲッカビジン | 「ここは私たちに任せるでありんす。 ハナショウブは、どうかこの旅館を」 |
ハナショウブ | 「……わかりました。みなさん、どうかご無事で」 |
戦場の女将 |
――ベルガモットバレー桃源郷周辺―― |
ナデシコ | 「はぁ、はぁっ……。 まったく、次から次へと……!」 |
ゲッカビジン | 「害虫め……普段はたいして姿を見せないのに。 どうしてこう、七夕の時期に限ってこんなに数が……」 |
害虫 | 「キシャアアアアア!!!!」 |
ナデシコ | 「……! ゲッカビジンさん、危ないっ!」 |
ゲッカビジン | 「……!!しまっ――」 |
ナデシコ&ゲッカビジン | 「!!」 |
ハナショウブ | 「ふぅ……間に合ったようですね。 みなさん、無事ですか?」 |
ナデシコ | 「は……ハナショウブさん!」 |
ゲッカビジン | 「ハナショウブ、なぜここに!?」 |
ハナショウブ | 「私にとっての桃源郷は、あの旅館だけではありません。 この街全体が、私の愛する桃源郷なのです」 |
ハナショウブ | 「……そう思ったら、居ても立ってもいられなくなりましてね」 |
害虫 | 「キシャアアアアア!!!!」 |
ハナショウブ | 「害虫たちの好きにさせてたまるものですか……。 この場所は、絶対に守り抜きます!」 |
守るべきもののために |
――ベルガモットバレー桃源郷周辺―― |
ハナショウブ | 「オラオラオラオラァッ! どうした、こんなもんか害虫ども!」 |
ナデシコ | 「す、すごい……見る見るうちに害虫が減ってゆく!」 |
ゲッカビジン | 「さすがでありんす、ハナショウブ」 |
ナデシコ | 「でも……」 |
ナデシコ | 「――いつものハナショウブさんじゃないっ……!」 |
ハナショウブ | 「……はっ!」 |
ハナショウブ | 「し、失礼しました……おほほ」 |
ゲッカビジン | 「……ハナショウブはときどき荒っぽくなるでありんす。 なんでも、昔のクセが抜け切らないとか……」 |
ハナショウブ | 「クセ……そうですね、悪いクセです」 |
ハナショウブ | 「強がって、意地を張って、素直になれなかった過去の私……。 結局一度も甘えられないまま、害虫に命を奪われ、夫に先立たれてしまった」 |
ハナショウブ | 「そんな後悔を、私は誰にもしてほしくない。 夫から受け継いだ旅館は、誰もが素直になって甘えられる、 そんな場所にしたいんです」 |
ゲッカビジン | 「大丈夫ですよ、ハナショウブ。 その気持ちは、みんなにきっと伝わっています。 私も……あなたと、あなたの旅館に救われた」 |
ゲッカビジン | 「仕方なかったとはいえ……害虫への憎しみから狂乱した母を、 この手にかけてしまった私に、居場所を与えてくれた。 数えきれないほどたくさん、甘えさせてもらった」 |
ナデシコ | 「……意外に思われるかもしれませんが、団長さん。 桃源郷の人たちは、害虫に対する個人的な恨みが特に深い傾向にあるんです。 このお二人のように、わけありの人も少なくありません」 |
ナデシコ | 「私は、そんな人たちの力になりたくて、剣術道場を開いています。 騎士団とは少し違うカタチになるけれど……それでもきっと、 害虫と戦う気持ちの根っこは同じはずですから」 |
カンナ | 「お~い、みんな大丈夫か~……って、うわ!? なんやここ、やられた害虫の群れがぎょ~さんで足の踏み場が……」 |
カンナ | 「ひゃっ!?い、今なんか変なの踏んだ!? うわ~ん!ハナショウブさん、助けてや~!」 |
ハナショウブ | 「……もっとも、甘えたさんがすぎる子もいるみたいですがね。ふふっ」 |
カンナ | 「???」 |
ハナショウブ | 「こんなふうに、みんながいつでも甘えられるこの素敵な居場所を守るため…… さぁ、参りましょう、団長さん!」 |
一気呵成に |
――ベルガモットバレー桃源郷周辺―― |
カンナ | 「は~、みんな強いなぁ! これなら害虫も恐るるに足らず、って感じやな!」 |
ナデシコ | 「油断はいけませんよ、カンナ。 ……ほら、言ってるそばからまた害虫が」 |
カンナ | 「みんなと一緒なら恐くないで! ほれほれ、かかってこんか~い!」 |
ナデシコ | 「もうっ、それが油断だと言っているのに」 |
ゲッカビジン | 「だいぶ数が減ってきたでありんす」 |
ハナショウブ | 「これも自警団のみなさんと、 団長さん率いる騎士団の力があってこそ、ですね。 ……もっとも、いつまでも害虫と遊んでいる趣味はありませんが」 |
ゲッカビジン | 「さっさと終わらせて、年に一度の七夕祭りを楽しむでありんす」 |
ハナショウブ | 「ふふ、そうですね。 では、あともうひと踏ん張りと参りましょうか」 |
七夕伝説 |
――ベルガモットバレー桃源郷周辺―― |
ゲッカビジン | 「討伐完了……で、ありんす」 |
ハナショウブ | 「みなさん、お疲れ様です。 これで今年も、安心して七夕祭りを楽しめますね」 |
カンナ | 「なぁなぁ、七夕といえば、アレやらへんの?」 |
ナデシコ | 「アレ……って?」 |
カンナ | 「なんや、異世界の風習らしいねんけど……」 |
カンナ | 「どでかい笹に、願い事を書いた短冊をぎょ~さん吊るすんよ。 そしたらな……なんと! 仲の良い星空の夫婦さんが願い事を叶えてくれはるぅ~!」 |
カンナ | 「……っちゅう伝説や」 |
ナデシコ | 「異世界の風習……? カンナ。あなた、そんなことをどこで覚えてきたのですか?」 |
カンナ | 「はて、なんやったっけな~……何かの本だったような……。 でも、うち、あんまり本読まへんしなぁ……あれ、聞いた話やったかな? 遠い昔に、おばあちゃんが寝る前にお話してくれたような気も……?」 |
カンナ | 「……ま、まぁ!細かいことはど~でもええやん! とりあえずおもろそうやから、うちらもやってみぃひん?」 |
ゲッカビジン | 「異世界の風習……初耳ですが、なかなかロマンチックでありんす」 |
ハナショウブ | 「仲の良い夫婦ですか……ふふ、たまにはそんな七夕祭りも素敵ですね。 それでは、手分けして必要なものを集めに行きましょうか」 |
短冊ざくざく |
――ベルガモットバレー桃源郷周辺―― |
ハナショウブ | 「ふぅ……こんなところでしょうか」 |
ゲッカビジン | 「笹も短冊も、なかなかたくさん集まったでありんす。 これならカンナの言っていた異世界の風習も……」 |
ナデシコ | 「あれ、そういえばカンナはどこに?」 |
カンナ | 「年に一度のお祭り騒ぎ……。 いつもよりぎょ~さんいらっしゃるお客様……。 そこへ異世界の珍しい風習……儲からへんわけがない……」 |
カンナ | 「匂う!オカネの匂いがぷんぷんするで! 短冊ざくざく、オカネもざくざく……ぐっへっへ」 |
害虫(左) | 「キシャァ……」 |
カンナ | 「え?」 |
害虫(右) | 「キシャァ……」 |
カンナ | 「えぇ?」 |
害虫s | 「キシャアアアアア!!!!」 |
カンナ | 「ええええぇぇぇ!? か、囲まれてもうた! かかか、堪忍や~!た~すけてくれ~!!」 |
ナデシコ | 「あの子、一人で勝手にあんなところまで……というか」 |
ハナショウブ | 「まだのさばってやがったか、害虫どもめ! ……あら、失礼しましたわ。オホホ」 |
ゲッカビジン | 「今、助けに行くでありんす!」 |
いつまでも続く桃源郷 |
――ベルガモットバレー桃源郷中心部―― |
カンナ | 「たはは、助かったわ~。ほんま、おおきに~」 |
ナデシコ | 「それで、カンナ。この短冊をどう吊るすのですか?」 |
カンナ | 「え~っとな、確かこんな感じに……」 |
カンナの指示に従い、願い事の書かれた短冊を笹に吊るしていく。 すると、どこからともなく見物客が集まり始めた。 |
たくさんの短冊を吊るした巨大な笹が完成する頃には、 例年よりも賑やかな人混みが桃源郷に溢れかえっていた。 |
カンナ | 「ほっほ~!こりゃまた大盛況やな~! ……せや!呼び込みもかねて、みんなにも短冊配ってくるわ! なんやもう、こんなぎょ~さん集まってもうたし!」 |
ゲッカビジン | 「配る? ……あなたの場合、売りつける、の間違いでは?」 |
カンナ | 「く、配ってくるだけやよ!いややわぁ、ゲッカビジンさん。 人聞き悪いで、堪忍してや~……あはは。ほな、またあとで~!」 |
ハナショウブ | 「いつもはお店の切り盛りで、てんやわんやですが…… たまにはこんな七夕祭りもいいですね」 |
ナデシコ | 「素敵ですよね。綺麗だし、ロマンチックだし……」 |
ナデシコ | 「異世界の風習かぁ。 今度、カンナにもう少し詳しく話を聞いてみようかな」 |
ハナショウブ | 「ところで団長さんは、どんなお願いごとを短冊に託したのですか? あっちの短冊?それとも、こっちの短冊?」 |
ハナショウブ | 「え、私ですか?ふふ、私はですね……」 |
カンナ | 「た、たたた、大変や~!また害虫が現れおったで~! うひゃあ!こ、こっち来んなって~、もぉ~!」 |
ゲッカビジン | 「やれやれ……害虫たちもお祭り騒ぎ、ということなのでしょうかね。 ゆっくり祭りを楽しんでいる暇もないでありんす」 |
ナデシコ | 「それでもみんなのため、 桃源郷を守り抜くのが私たち自警団の使命」 |
ナデシコ | 「……そうですよね、ゲッカビジンさん」 |
ゲッカビジン | 「ふふ、ナデシコも頼もしくなってきたでありんす」 |
ナデシコ、ゲッカビジンたち自警団に続き、騎士団もまた戦線へ駆けつける。 |
ハナショウブ | 「……あなた、見てくれていますか?」 |
ハナショウブ | 「あなたから引き継いだ旅館だけが心の支えだった私の周りにも、 今ではたくさんの人たちがいてくれます。 それらすべてが、私にとってかけがえのない大切な桃源郷……」 |
ハナショウブ | 「だから私はもう少しだけ、甘えられる存在でいようと思います。 みなさんが遠慮も後悔もしなくて済むような、そんな居場所を守り続けるために」 |
ハナショウブ | 「――でも、いつか私がそっちに行くことになったら……」 |
ハナショウブ | 「そのときこそは、たくさん甘えさせてもらいますからね?ふふっ」 |
騎士団や自警団を追いかけ、ハナショウブもまた戦線へ向かう。 |
――いつまでも、こんな毎日が続きますように―― |
彼女を見送るように揺れる短冊の一つには、そんな願いが記されていた。 |