子供より親が大事、と思いたい。
サクランボとは、バラ科サクラ属サクラ亜属の果樹であるミザクラ(実桜)の実のことです。
一般的には実のことを指すことが多く、木の方は桜桃(オウトウ)と呼ばれることが多いです。
サクランボとは、桜の実を指す桜の坊が変化してサクランボと呼ばれるようになったと言われています。
基本的に観賞用であるサクラの方には実は大きくならず、普段食卓で食べているサクランボはミザクラの方からなるものを使用しており、大きく分けて東洋系とヨーロッパ系の二種類があります。
日本で栽培されているサクランボは大半がヨーロッパ系列で、種類としてはなんと1000種類を超えるほどです。
果実は皆さんご存知のとおり、丸みを帯びた赤い果実で、中に種子があります。また、その色合いから赤い宝石と言われていて、正月の初出荷では3万から5万円という値段がつくほどのものとなっています。
基本的に食用にされているのは甘果実桜と呼ばれるセイヨウミザクラの方です。また、料理用に少し酸味の強い酸果実桜と呼ばれるスミミザクラもあります。
セイヨウミザクラは原産地がイラン北部からヨーロッパ西部と言われ、なんと有史以前から食用に使用されていたとされています。
このセイヨウミザクラが日本に渡ってきたのは明治初期頃とされていて、北海道から広く伝わっていったと言われています。
また、中国には華北、華中を中心に支那実桜(シナノミザクラ)、唐実桜(カラミザクラ)という種類があり、こちらは江戸時代頃に日本にやってきて現在は西日本の一部で栽培されています。
サクランボが大好きなのは人間だけでなく、動物たちも同じです。サクランボさんの肩にスズメが止まっていますが・・・食べられてませんか?
もっとも、サクランボはこうして動物に果実を食べてもらうことで種子散布を行っているので、食べてもらえないと困るのですが。
しかしサクランボ農家にとっては、大切な商品を食い荒らされてはたまったものではなく、野生動物による食害は常に農家の悩みの種です。
こんな話があります。第三代プロイセン王フリードリヒ2世といえば、政治と軍事は当たり前、数々の学問や芸術にも幅広く通じ、
その功績を讃えてフリードリヒ大王とも称される、18世紀ドイツの誇るリアルチート君主ですが、
サクランボが大好物だった彼は、食べ頃のサクランボを食べてしまうスズメに腹を立て、スズメ駆除の命令を下しました。
しかしその結果、今度は天敵が消えたことで毛虫が大発生し、葉を食い荒らされたためにサクランボが実らなくなってしまいました。
自らの非を悟ったフリードリヒ2世は、以降は鳥類の保護に努めたといいます。自然は上手く出来ているものだと関心させられる逸話ですね。
ちなみにこのフリードリヒ2世、お花的にはドイツにジャガイモ食を広めた人としても知られています。
今ではドイツ人のことを「糞ジャガイモ野郎」といって罵ったり、女の子はジャガイモでフルコースが作れないとお嫁に行けない、とまで言われるほど、
ドイツ人はジャガイモをよく食べますが、かつては「呪われた野菜」であるとして、あることないこと言いふらされていたため、誰も食べようとはしませんでした。
そんな中、フリードリヒ2世はジャガイモ栽培を奨励するだけでなく、領内を練り歩いてジャガイモPR活動に勤しみ、
自ら率先してジャガイモを毎日食べることで模範を示すなどして、ジャガイモの普及に尽力したと伝えられています。
その結果として、ドイツの食糧事情は大幅に改善されたのですから、流石は大王といったところです。
尚、一番最初に出てきた言葉は太宰治の死んだ1948年に発表された作品「桜桃」に出てくる言葉です。
主人公は"太宰"と呼ばれる作家であり、太宰は妻と喧嘩し、家を飛び出し、酒場にて桜桃を食べる、というお話です。
最後の場面では桜桃を食べているのだが、その時の主人公の様子は酷く不味そうに、そして吐き捨てる様に食べている。更に「子供よりも親が大事」と虚勢を張っているのです。
現実における太宰治は子供がダウン症であったとされていて、その様子は同じく太宰治作品の「ヴィヨンの妻」にも書かれています。
太宰治は最後玉川上水に入水自殺してしまいますが、その原因の一端に、こういった事実もあったのかもしれません。
太宰治の死んだ日は6月13日ですが、その死体が引き上げられたのは奇しくも太宰治の誕生日であった6月19日でした。
その6月19日はこの作品の名前から、桜桃忌と言われて、三鷹にある太宰治の墓には今もファンが命日ではないですが太宰治を偲んでいます。
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