竜胆は、えださしなどもむつかしけれど、こと花どもの、みな霜がれたるに、
いとはなやかなる色あひにてさし出(で)たる、いとをかし。
(枕草子 第六四段 「草の花は」より)
リンドウ科リンドウ属の多年生植物。
近縁種を含めると世界中のほぼ全域に分布しており、非常にポピュラーな野草。
日本語でリンドウ(竜胆)と言った場合、日本に分布する1変種「ゲンティアナ・スカブラ」(Gentiana scabra var. buergeri) を指す場合が多いが、
リンドウ属全体を指した総称として扱われることもある。
日本における狭義のリンドウは秋の花の代表格で、水辺や湿地など水気の多い土地を好み、本州から九州にかけての湿った野山に自生する。
釣鐘型で鮮やかな青紫色の花を空に向かって咲かせる、可憐な花である。
ただし現代の日本で園芸用の「リンドウ」として流通しているのは、キリシマリンドウやエゾリンドウなどの近縁種からつくられた
園芸品種であることが多い。
リンドウ属は変種や亜種が多岐にわたっており、、また園芸種も数多く作られ、古くから切り花や鉢植えとして親しまれた花である。
ヨーロッパや中国では、リンドウ類の根が早くから健胃薬として利用されており、漢字の「竜胆」は古代中国で
『まるで竜の胆のように苦い』ことから付いた名だと言われている。
(竜の胆の味なんかを知っている人は誰もいないだろうが、要はそれほどあり得ないぐらい苦いという意味である)
リンドウ属のラテン名「ゲンティアナ」は、古代ギリシアに存在したイリュリア王国の最後の王ゲンティウスが
リンドウの薬効を認めて医療に役立てたという逸話から、ゲンティウス王にちなんで付けられた名前である。
日本にも、日光の二荒山神社に竜胆と薬効についての伝説が「二荒縁起」として残っている。
(要約)
その昔、修行者「役小角(えんのおづの)」が山奥で竜胆の根を掘り出しては舐めているウサギを見つけ、
不思議に思って何をしているのかと訊ねたところ、ウサギは『これは薬草で、主人の具合が悪いので探していたのだ』と答えた。
役小角もそれを真似て、持ち帰って病人に飲ませたところ優れた効き目を現した。
『さては、これは二荒神がお告げとしてウサギを自分のところに遣わせたに違いない』と役小角は確信し、それ以来、竜胆が二荒山神社の霊草となったという。
ただ残念ながら、現在の二荒山神社には「二荒縁起」の資料らしきものは残っていないそうで、今となっては伝説の真偽などは確かめようがないとのこと。
また平安時代以前には、「えやみぐさ」「いやみぐさ」などという古名で呼ばれていたこともあり、
『和名抄』にも竜胆の和名として「えやみぐさ」が紹介されている。
ちなみに「えやみぐさ」は漢字で『疫病草』と書くが、これは縁起の悪い意味ではなく、逆に『病んだ時に飲むための薬草』というような意味である。
「いやみぐさ」というのも、『あまりにも苦いから、イヤミグサ』などと付けられたわけではなく、『胃病み草』つまり胃薬のような意味合いだったと思われる。
一方、竜胆紋(笹竜胆)と言えば源氏の代表的な家紋としても有名であるが、これは歌舞伎「勧進帳」で義経が付けたことから広まった話で
実は義経の時代にはまだ「家紋」のような習慣はなかったとされるため、後世の創作である可能性が高い。
実際、清和源氏の子孫では笹竜胆を家紋にしている家は少なく、どちらかと言うと村上源氏や宇多源氏の代表紋とされている。
このように薬草としても観賞用としても古くから日本で親しまれてきたリンドウであるが、意外なことに和歌で取り上げているものは少ない。
万葉集では何と、たったの1首しか存在しない。(下記)
道の辺の 尾花が下の思い草 今さらさらに何をか思はむ
(詠み人しらず)
それも、「思い草」というのが秋の草のことであるから、『リンドウの可能性がある』という異説の1つとして提唱されているだけで、
実際にリンドウのことかどうかもハッキリしていないのである。
古今集の時代でもあまりこの傾向は変わらずリンドウを歌ったものは数少ないが、これは「竜胆」というのが漢語からの由来の言葉で
語感として硬い感じが(当時の)和歌の調べに馴染まない、と思われていたのだろうと言われている。
ただし例外的に「物名(もののな)」という一種の言葉遊びでは、当時の竜胆の呼び方「りうたん」や「りうたむ」という表現がしばしば見られる。
例)
我やどの花踏み散らす鳥うたむ野はなければやこゝにしも来る
(紀友則)
これは、紀友則が自分の家の庭で花を踏み荒らす鳥に腹を立てて「野に花がないから鳥どもが家まで来てしまうのだろう、(邪魔だから)打ち払ってやる」
とコミカルに歌ったものであるが、「鳥うたむ」の部分に「りうたむ」という言葉が隠されており、つまり「我やどの花」とは竜胆のこと、となるのである。
(上記のように、歌の中に別の言葉を隠す遊びが「物名」)
和歌の世界ではあまり取り上げられていないリンドウであるが、とは言え観賞用としては当時からそれなりに人気があったようで、
冒頭に掲げた枕草子でもその様子が見て取れる。
こちらは「竜胆は枝が倒れたりして面倒だけれども、花がみな枯れてしまう冬(晩秋)でも、華やかな紫色で霜の中から花を出している。趣があってよろしい」
というような意味。
当時の(原種の)竜胆は、今日の園芸種とは違って地をはうように育ち、葉や枝も硬くて、意図しない場所に生えてくるとかなり邪魔だったそうであるが、
それでも冬場の寂しい庭を彩る貴重な花として、人々から愛されていたのではないだろうか。
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