「概要を食べながら、しゅっぱーつ!」
アズキはマメ科ササゲ属の一年草。
学名:Vigna angularis
原産地:東アジア
俳句では夏の季語。
学名の「Vigna」は「ササゲ属」(17世紀のイタリアの自然科学者に由来)、「angularis」は「角張った」の意味。
本作では「アズキ」という名前で実装されているが、「小豆」の読みは本来は「ショウズ」であり、「アズキ」は大和言葉(和名)であるらしい。
名称の由来については、諸説ある。
・「ア」は「赤」、「ズキ」は「溶ける」の意味。煮崩れやすく短時間で調理できることから。
・「アカツブキ(赤粒木)」からアズキとなった
他多数。
このように本来の読み方はショウズだが、アズキ読みの方が一般的。英名も「Azuki bean」となっている。
中国から伝来してきた大豆は中国読みを採用してダイズになったが、古来より日本に自生していたアズキは、土着の大和言葉を採用してアズキ読みになった。
いつ頃から読み方が変わったのかは不明だが、918年に作られた本草和名(ほんぞうわみょう)という本では、赤小豆と書いてアカアスギと読ませていた。
豆という漢字は、神様の食事である神饌を盛る高坏の形から生まれた字と言われる。昔の人は小豆を神へのお供え物にしていた事が窺える。
アズキの草丈は30~70cm程度。長い葉柄に小さな葉が3枚付く。5月中頃に種を植え、6月上旬に発芽。兵庫県では7月中頃から種をまく。
7~9月頃に黄色い花が咲いた後、5~10cm程度のサヤができる。
8~11月頃になるとこのサヤが熟し、いわゆるアズキ色の豆が収穫できる。見た目はインゲンマメのサヤにそっくり。
+ | 穀類としてのアズキについて_ |
一般的に「アズキ」というとサヤの中にできるこの豆のこと。 大きさが5.5mm以下で4.2mm以上のものが「普通小豆」、5.5mm以上のものが「大納言小豆」と区別される。 原産地は中国北東部で、二千年ほど前に日本へと伝来したと言われている。三世紀頃の日本が書かれた魏志倭人伝には何故か小豆の記述が無いが、 中国で作られた世界最古の薬学書「神農本草経」によると小豆の煮汁が解毒剤として用いられたという記述がある。 小豆を栽培する前には、必ず畑から石を取り除く。生育に石の存在は障害となるからだ。このため農家は丹念に石を排除する。 技術が発達していない頃の小豆は皮が薄く、炊き上がった時に種皮が破れる事があった。「敗れる」「腹が切れる」に通じるため、戦国武将は縁起が悪いと嫌った。 2015年、農業生物資源研究所は沖縄綜合科学研究所と共同で、小豆の全ゲノム解析をほぼ終えた(95%)と発表した。 |
+ | 餡子について_ |
「餡子食べる?」 小豆から作られる餡子は、多種多様な和菓子に使用されてきた歴史を持つ。今や餡子無しでは和菓子業界は成り立たないと言えるだろう。 1349年、中国から訪れた林浄因(りんじょういん)という人物が、後村上天皇に餡子入りの饅頭を献上した事が、餡子の伝来と言われている。 長らく国内でも餡子は肉扱いであったが、室町時代に外国から砂糖が入ってきた事で一変。国内で砂糖が生産されるようになり、 餡子が貴重だった時代が長く続いたためか、和菓子業界には売れ残った商品から餡子を回収して、 先人は、小豆と砂糖が上手く連携する事を知っていた。餡子はその最たる例だろう。人の脳はブドウ糖しか養分に出来ない。 物を知らぬが故の笑い話として、こんな話が残っている。 日本人から国民食として親しまれている餡子だが、日本に住む外国人からの評価は芳しくない。西洋人の舌には合わないようだ。 奈良時代、遣隋使によって中国からもたらされた菓子の中に、混飩(こんとん)というものがあった。 |
+ | 産地・品種について_ |
70%が北海道(十勝)産で、丹波・備中と共に三大産地として知られる。全国的に栽培されているが、唯一沖縄県のみ気候の問題で例外。 1896年、北海道で栽培する小豆の品種を選定するため、品種比較試験が開始された。選りすぐりの種を抜き出し、未知なる北海道の大地へと持ち込まれた。 北海道で栽培されている品種は「エリモショウズ」と「きたのおとめ」、「きたろまん」の三つ。 丹波地方(兵庫県)で栽培される小豆は「大納言小豆」の名称で呼ばれている。 中でも一番希少価値が高いのが「白小豆」と呼ばれる品種である。文字通り白い小豆で、その姿は大豆にしか見えない。 近年、市販の生餡は品質が悪化し続けており、中には中国産の粗悪品まで含まれているという。 |
+ | アズキの仲間_ |
先述の通り、沖縄では小豆の栽培が行われていない。代わりにナンバンアカアズキと言うマメ科の植物が存在する。 マメ科ササゲ属のアズキくんは可愛くて人想いだが、親戚には怖いヤクザがいる。その名はトウアズキ。 スーパーでは「あずきな」と呼ばれる山菜が並ぶ事がある。茹でると、小豆の香りがする事からその名が付けられた。 竹小豆という小豆のそっくりさんも存在する。主な産地は中国、ミャンマー、タイ。別名はツルアズキ、バカアズキ(!?)。 |
+ | 害虫について_ |
かわいいアズキくんの命を狙う暗殺者は、数多く存在する。 アズキの天敵は、アズキゾウムシと呼ばれる害虫。アズキの中に産卵し、孵化した幼虫が食害を与えてくる。餡子がダメになるよー! 他にもスズメガ及びメイガの幼虫が害虫として立ちはだかる。一時期フキノメイガと呼ばれていたが、後にアズキノメイガへと改名。 害虫として馴染み深いアブラムシにも寄生される。6月中旬頃より茎に寄生し、直接吸汁して被害を与えてくる。 タマヤナガの幼虫も小豆を荒らす害虫となる。昼間は土中に潜んでいるが、夜間になると動き出し、出芽した株に食害を与える。 アズキヘリカメムシもまた、食害を与えてくる害虫。小豆に限らず、豆類の作物に取り付いては食い荒らす。 変化球として、与える被害が少ない故に見過ごされてきた害虫アザミウマ類も存在する。1918年の研究結果で、既にその存在が確認されていたが、 最近になって襲来した新害虫マキバカスミガメが、小豆に暴力を振るっている。最初の暴虐は、1995年に確認された。 アズキくんの命は、害虫に留まらず病害菌にも狙われていた。 1960年代、豆類にバイオハザードが発生する。 しかし、小豆にだけ病魔が残っていた。 1970年は好天に恵まれ、小豆も順調に生育。豊作の見通しが立っていた。そこへ更なる進化を遂げた、未知の菌が襲い掛かる。 同じく水田転換期の1974年に発生した病気に、アズキさび病がある。 アズキくんを蝕む病害菌は、まだ潜んでいた。 植物に感染するウイルスは千種類以上あると言われる。そのうち、アズキは七種類のウイルスに感染する。 ―番外編・蠢く害獣― これまでは害虫や病原菌といった小さい相手だったが、より巨大な敵も存在する。 シカ、襲来。 ニホンシカも、小豆に食害を与えてくる害獣である。彼らは雑食なので小豆に限らず、様々な作物を食い荒らす。その量は病害虫の比ではない。 虫が付きやすいため、対策が必要である。か弱いアズキくん。 |
+ | 用途について_ |
アズキ・大豆は米、麦、豆、粟、黍または稗と共に五穀といわれ、日本人の食卓を支えてきた。 豆類の多くは、煮込み料理やスープの食材として使われる。しかし小豆は他の豆類と比べて、やや苦味が強い事から 山形県の小国町では葬式の際に赤飯を炊く風習があり、普段は忌み嫌われるという珍しい地域性がある。 夏の土用にはウナギを食べる風習が広く知られているが、ある古文書には「土用の入りに油揚げや梅、小豆を食べると病気にならない」と記載されている。 国内のアズキは75%が餡用であるが、漢方としても多く使われる。栄養分が豊富で、その八面六臂っぷりは差し詰め天然の薬である。 実は小豆は、犬にも効能を発揮するとされる。昭和二十年代、猟師の犬がマムシに噛まれて、首のあたりが激しく腫れてしまう。 余談だが、お汁粉の起源は江戸時代に誕生した「すすり団子」という料理。塩味で味付けし、甘味ではなく酒の肴として飲まれた。 SDの喜びモーションでパンを食べているがあれは「小倉トースト」という名古屋発祥の軽食である。焼いたパンにバター(またはマーガリン)とともに小倉あんを乗せたもの。 最近、小豆を使ったカイロという運用法が編み出された。耐熱性のある布に小豆を入れ、電子レンジで1分ほど温めると即席のカイロ、湯たんぽにもなる有能っぷり。 戦後しばらくは小豆の不足から、投機の対象になった事がある。1963年には乱高下する小豆市場を舞台にしたドラマ「赤いダイヤ」が製作され、 |
+ | 戦争とアズキ_ |
古来より、日本人の食生活に寄り添ってきた小豆。それは戦時中も変わらなかった。 東洋の小国に過ぎなかった日本が、白人の大国ロシアと戦争する事になった日露戦争。この戦争において、軍隊狸と呼ばれる妖怪が この様子は「豆成金」と呼ばれ、好景気は1915年から1935年まで続いた。 戦前から小豆は大豆に次いで栽培面積が広く、伝統ある食材として生活必需品であった。 帝國海軍の顔とも言うべき航空母艦赤城では、乾パンの小倉煮なるスイーツが考案され、 1937年6月に支那事変が勃発すると、いよいよ国内も戦争色に染まり始めた。同年9月10日、「雑穀類配給統制規制」が公布。 1941年12月8日、大東亜戦争が勃発。敵味方を逆にして、日本は世界大戦に参戦する。 第一次世界大戦の頃とは違い、小豆の輸出は全く行われなかった。対米英で総力戦だった事と、同盟国である独伊へのルートが 蛇足だが、1943年12月に発生したヒカリゴケ事件は、根室港から小豆の集積拠点である小樽港へ回航される道中で始まった。 小豆にまつわるエピソードに、こういう逸話がある。 内地の母親たちは死に物狂いで小豆をかき集め、お手玉にして疎開先へと送った。 1945年に入ると、海軍航空隊の食糧事情も悪化。門司の航空隊では着任と同時に赤飯が振る舞われたが、その実態は米の節約のため、 満州国から送られてくる雑穀の中に小豆があり、僅かながら供給はされていた。 一方、7月14日から3日間、北海道も攻撃を受けた。小豆の産地だった小樽も攻撃対象になり、空襲から銃撃、艦砲射撃まで手酷くやられた。 その後も朝鮮からの輸送作戦は続いたが、日本海は米軍によって機雷封鎖され、8月9日のソ連参戦に伴って輸送作戦は頓挫。間もなく終戦を迎えた。 終戦間近のビルマ方面では、シッタン河東岸に設けられた安兵団司令部がぜんざいを振る舞っていた。 特攻隊への入隊や出撃前には、赤飯が振る舞われた。保存食にも赤飯が用いられており、現存しているものもある。 小豆島には1944年8月頃に陸海軍の水上特攻隊の基地が設営されたが、工事は難航。それでも1945年5月2日に小豆島突撃隊が編成された。 1945年8月9日、地平線まで埋め尽くすソ連軍が満州国に侵攻。現地には155万人の開拓移民が取り残されていたが、 しかし、さしものアズキも連合軍を餡子みたく練り上げる事は出来なかったようだ。 終戦後、闇市では残飯シチューなる食べ物が流行った。総力戦に敗れた日本は荒廃し、食料が少なかった。 原爆の投下から一ヶ月あまりが経過した、終戦後の9月17日。広島地区に暴風雨が襲来し、追い討ちをかけた。10月8日にも集中豪雨が襲い、 北海道から船路で引き揚げてきた者が小豆を大量に持って帰ってきてくれたが、それでも数は全然足りなかった。 供給が安定し、配給制が打ち切られたのは1951年の事だった。自由に売買が出来るようになり、1952年10月には大阪と東京で |
+ | アズキと神話・宗教_ |
アズキは神話にも度々登場する。奈良時代初期の書物『古事記』に初めてアズキの名が記載された。 『日本書紀』でも同様に食物の神である保食神(うけもち)が殺された際、保食神の亡骸の陰部から麦・大豆・小豆が生まれたとされる。 節分と言えば大豆を投げる家庭が多数を占めるが、小豆を投げる所もある。どちらも豆であり、「魔を滅する」とかけて厄除けの力がある。 地方によっては御九日(みくにち)という風習がある。これは9月の9日、19日、29日に秋の収穫祭を行い、小豆粥を炊いて祝うというものである。 長野県長野市の高岡地区では、1月15日に日待(ひまち)占いの一環として小豆焼きが行われる。 みんな大好きな甘味ぜんざい。その語源は、インド仏教という説がある。 密教の秘法、護摩供では本尊不動明王を初めとする諸仏に五穀を供える作法があり、ここでも小豆が使われている。 西暦809年、唐から帰国した真言宗の開祖・空海は、密教の秘法とともに小豆の種を持ち帰ってきた。 その後、弘法大師空海は日本各地を旅する。蓬沢の村という場所で托鉢を行っていた空海は、ある民家に「小豆を分けて貰えないか」とお願いする。 日蓮宗の開祖・日蓮聖人がまだ修行僧だった頃、ある土地で子供達に酷く苛められる狸を発見。これを助けると、狸は家族総出で恩返し。 中国の高僧、道綽(どうしゃく)は日々七万遍の念仏を唱えていた。念仏一遍ごとに小豆を一粒取る「小豆念仏」を考案し、 お彼岸と言えば、牡丹餅や御萩を食べる習慣がある。彼岸は日本仏教特有の法事だが、元々は日願という神道の催しだった。 古くから存在する小豆は、その名が地名になったり、妖怪の名に使われたりする事が多かった。大分県に伝わる妖怪・小豆洗いが最も有名だろう。 意外な事に、神の使いであり稲荷神社の象徴である狐は小豆飯と赤飯が好物である。狐に小豆飯という、ことわざまである。 |
+ | アズキの刀_ |
戦国時代、小豆長光(あずきながみつ)という刀が存在した。袋から零れ落ちた小豆が刀身に当たって真っ二つに割れた事からその名が付いた。 アズキの得物は刀ではあるが、キャラクタークエストでは「鉈」と表現されている。実際、先端が丸い形を帯びている。 その刀を収める鞘は、必笑だんご剣みたいな変な形をしているが、これは小豆の種が入ったサヤを表している。 |
+ | アズキ、脚気と戦う_ |
脚気(かっけ)とは、ビタミンB1の欠乏によって引き起こされる欠乏症の一つである。最悪の場合、死に至るというケースもあった。 脚気の歴史は古く、日本書紀には既にその存在が記載されていた。江戸時代(元禄)にも流行し、主に江戸で罹患者が大量発生した事から「江戸患い」という名前で呼ばれた。 海軍の軍医こと高木兼寛はビタミンの欠乏が原因ではないかと勘付く。西洋式の食事を摂る士官には脚気の患者が少なく、 1908年、脚気の原因究明を目的とした臨時脚気病調査会が創設。国費と一流の研究者を投じ、1924年にビタミン欠乏説が確定。 開国して間もない日本を襲った病魔。国も軍も後手に回る中、一つの光が差し込んだ。それが小豆だった。 小豆の供給が安定し始める1952年頃には脚気はほぼ駆逐された。アズキくん強い。 |
+ | アズキに関連するキャラクター達_ |
余談だが、かの有名なアンパンマンの中身はつぶあんだという。作者のやなせたかし氏曰く、非常に栄養価が高い餡子のようだが製法は謎との事。 あずきバーで有名な井村屋製菓株式会社は、毎月1日を小豆の日に制定している。 アズキと言えば、女性の名前に使われる事が多い。他作品やゲームでも、女性キャラクターの名前として使われている。 2009年、兵庫県姫路市に「あずきミュージアム」という博物館がオープンした。アズキをテーマにした世界初の施設である。 犬好きの人にとっては聞き覚えがあるであろう豆柴犬。その豆柴犬より更に小さい個体を小豆柴犬(あずきしばけん)と呼ぶ。 |
+ | アズキといっしょ_ |
畑で栽培されている印象が強い小豆だが、実は家庭で栽培する事も可能である。園芸店やホームセンター、種苗店で種子を購入できる。市販されている乾燥豆を種に転用するのも可。 菜園で栽培する場合は特に土質や場所の指定は無い。ただ粘土質の土や、極端に水はけ並びに日当たりが悪い場所は避ける。 日当たりの良い場所で育てると、出芽後1.5ヶ月~2ヶ月程度で黄色い花を咲かせる。アズキくんのカチューシャに付いているあの花である。 |
+ | アズキに関することわざ_ |
・小豆は馬鹿に煮らせろ ・小豆と女のしょっぱいのには手が付かぬ ・狐に小豆飯 ・縁の下の小豆の木 ・小豆は友の露を嫌う ・小豆の豆腐 ・小豆飯を炊けば 初午(はつうま)とみる |
+ | 各地に伝わるアズキの民話_ |
全国各地に、小豆を題材にした民話が言い伝えられている。バトル物から恋愛物まで多種多様である。 人を喰う山姥を討伐するため、卯平太(うへいた)という力持ちが山姥を捕らえる。 岩手県にはこんな昔話が伝わる。夜遊びをする夫に苛立った妻は、熱くなった胸の上に小豆が入った鍋を置いた。夫が帰ってくると、いつも小豆が煮上がっている。それも毎晩だ。 これは長崎県対馬豆酘村に伝わる昔話である。 静岡県浜松市に、小豆餅(あずきもち)という一風変わった地名が存在する。かつては駅も存在したが、廃駅となってバス停のみが残る。 1570年4月20日、織田信長率いる織田軍は、包囲網の一角・朝倉家を撃滅するため3万の軍勢で京を出立した。 甲斐の虎こと武田信玄公は、陣中食として「ほうとう」を食べていた。豊富な栄養が摂れるよう様々な豆類が添えられ、その中には小豆も含まれた。 東京板橋区には小豆沢(あずさわ)という地名がある。由来として様々な説が残っている。 ちなみに小豆の名が付く地名は、谷筋が崩れやすい危険地帯という先人からの注意である。地名には気を付けよう! |
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