その草の名を人問はゞ……。弟切草と申しつたへよ。
オトギリソウはオトギリソウ科オトギリソウ属の多年草。日本全土と朝鮮半島や中国などに分布している。
夏になると黄色い小さな花を咲かせ、その姿は「弟切草」というおどろおどろしい名前に似合わず可憐である。
葉を光に透かすと、そばかすのような黒い油点が見えるのが特徴。オトギリソウの仲間には油点が明るく見えるものもあるが、本種は黒点のみを持つ。
古くから薬草として知られており、江戸時代の類書「和漢三才図会」にも腫物や切傷に薬効があることが記されている。
有効成分はタンニン、ヒペリシンなど。上記のように外傷に用いられる他、神経痛やリューマチ、痛風などに対しての鎮痛、月経不順の解消にも効果がある。
ヒペリシンの副作用として光線過敏症があり、服用後に強い紫外線を浴びると皮膚炎を起こすことがあり、注意が必要。
最近では、オトギリソウの仲間のセイヨウオトギリソウ(セントジョーンズワート)が「自然の抗うつ薬」として注目を集めている。
この植物に含まれるヒペリシンとヒペルフォリンという成分が、抗うつ薬として一般的に処方されるSSRI(セロトニン再取り込み阻害剤)に近い薬理作用を示し、うつ病などの改善に効果があると言われている。
日本やアメリカではサプリメントやハーブティーとして販売されているが、ドイツではれっきとした処方薬であり、多くの医師と患者から支持を得ている。
ただし、SSRI自体の効果に疑問を呈する声もあり、そういった立場からは当然、セイヨウオトギリソウの効果も疑わしいものとなる。
そもそもこうした精神疾患は、その仕組みについて詳しく解明されていない部分も多く、対症療法的な部分が少なからず存在しているのが現状である。
何にせよ、こういった健康食品やサプリメントの類に対しては、自分で納得したものを自己責任において使用することを心がけたい。
「弟切草」という物騒な名の由来は、「秘密」や「恨み」といった後ろめたい花言葉にも関係がある。先述の「和漢三才図会」には次のように記されている。
相傳花山院朝有鷹飼名晴頼精其業也入神有鷹被傷挼草傳之則愈人乞問草名秘之不言
然有家弟密露洩之晴頼大忿刄傷之自此知鷹之良藥名弟切草
・・・さっぱり意味がわからないので、人類に理解できる言語に翻訳すると、こうである。
伝わるところによると、花山院の在位(984-946)のころ、晴頼という名の鷹匠がいた。
鷹について詳しいことと言ったら神の領域にあり、傷を負った鷹があれば、ある草を揉んで与えると、たちまちこれを癒してしまったという。
もちろん人々はこの薬草のことを知りたがったが、いくら聞かれても彼はその名を決して明かさなかった。それというのは当然、オトギリソウのことである。
しかしある時、彼の弟が門外不出の薬草の秘密を漏らしてしまう。激怒した晴頼は弟を斬り殺してしまった。「弟殺すべし、慈悲はない。イヤーッ!」「グワーッ!」
こうして、鷹の妙薬であるその草は「弟切草」の名で知られるようになったのである。
「和漢三才図会」の記述はここまでだが、その時の血飛沫が葉に染み付いて油点となったとか、弟の恋人が後追い自殺をしたとか、色々と尾鰭が付いて伝わっている。
さて、冒頭に引用したのもそのひとつ。岡本綺堂の戯曲「弟切草」では、兄弟の惨劇に立ち会わせた弟の恋人は咽び泣きながら、せめて形見にと秘伝の薬草を要求する。
兄は嘆息し、どこへなりとも持っていけと、泣き崩れる女に一本の草を投げ渡した。そしてその名を「弟切草」と告げた。
弟切草の名は、弟を殺めた兄が自ら与えた名であった。それは果たして自嘲か、追憶か、悔恨か。血に濡れた花は、何も語らない。
ちなみに、先に触れたセイヨウオトギリソウの別名、セントジョーンズワートも、聖ヨハネが殉教した際、流れでた血がこの草に染み付いたという伝説に由来する。
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