さいた さいた チューリップのはなが
ならんだ ならんだ
「あーか♥」 「しろ・・・」 「き・い・ろっ♪」
どのはなみても きれいだな
「私は・・・?」
もちろん紫さんもとっても綺麗ですよ!
四色四姉妹の長女として、チューリップ全般に関して解説を行わせて頂こう。
チューリップはユリ科チューリップ属の多年草の総称である。
童謡に歌われている通り、色とりどりの花々が華やかな春を演出してくれる。
お椀のような丸っこい花をつける姿で知られるが、かなり多様な栽培品種が誕生している。
八重咲きのものや、花弁が細く尖るユリ咲き系、花びらの縁がフリンジになるものなどなど、
色彩も斑入りやグラデーションなどパターン豊かで、なかなか簡単には見飽きさせない花である。
和名は「う存在しない。存在しないと言ったら存在しない。そんなものは最初から無かったのだ。
決してチューリップの和名を調べてはいけない。だからこの話はもう忘れろ、あなたには関係ない。
尚、一時期「ぼたんゆり」や「れんげすいせん」という素晴らしい和名が提唱されていたようだが、どうも定着しなかったらしい・・・。
全草、特に心臓毒のツリピン等を含む。大量摂取しない限り死ぬことはないだろうが、イヌやネコに対して毒性が高く危険。
球根や茎を傷つけるとアレルゲンのツリパリンAを生じ、かぶれなどの原因になる。植え替え作業などの際は手袋をすると良い。
その一方で、球根はでんぷん質で極めて糖度が高いため、有毒にも関わらず古くから非常食とされてきたこともあった。
第二次世界大戦中、ナチス占領下のオランダではチューリップの球根が食用とされ、少なからぬ中毒者を出していたようである。
現在では食用の品種が開発され、糖度の高さを活かして製菓材料としたり、生のままサラダなどで食べることもある。
ただし食べられるのは食用に栽培された品種のみ。観賞用の品種は上記のように有毒であり、灰汁が強く食用に適さない。
原産地はオランダ・・・と思われがちだが、トルコ、イラン、カザフスタンなど、
地中海沿岸から中央アジアの山地や高原などに自生する。シクラメンちゃんとは同郷の仲。
オランダといえば風車にチューリップの国というイメージがあるが、オランダにチューリップがやって来るのは16世紀。
オーストリア大使のブスベックさんが、オスマン帝国からチューリップの球根を持ち帰り、チューリップはヨーロッパ入りを果たす。
その友人で植物学者のクルシウスさんが、チューリップの栽培と研究をフランクフルトで始めたのだが、
まもなくライデン大学へ招聘されたため、彼はチューリップの球根と共にライデンへと引っ越し、研究を継続した。
そして彼の研究がオランダの園芸愛好家の注目を集めたのが、チューリップ大国オランダの始まりである。
こう考えてみると、結構色々な偶然が重なって、チューリップはオランダにやってきたのである。歴史なんてそんなもんである。
その熱烈な人気たるや、「チューリップ・バブル」という冗談にもならない金融上の大事件を引き起こすまでに発展した。
チューリップは交配は容易なのだが、種子を結実し、また新しい株が球根を作るまで、実は結構な時間がかかる。
そのため、需要の急増に対して、生産供給がまったく追いつけなかったのである。
終わらぬ品薄状態に、件のクルシウスさんのチューリップ畑は度重なる盗難の被害を受けるまでになる。
愛する畑と花達を奪われたクルシウスさんは、すっかりむくれて研究をやめてしまったという。彼が一番の被害者かもしれない。
とうとう園芸家だけでなく、金の臭いを嗅ぎつけた投機家たち、さらには一般大衆までもが
「乗るしかない、このビッグウェーブに・・・!」
とばかりに市場に参入し始めると、転売を繰り返されるチューリップの球根は、雪だるま式に価格が高騰していった。
珍しい球根なら家一件で取引されることもザラで、ボロの球根ですらとんでもない値段がついたという。
やれ買えやれ売れとバブルを極めたチューリップ市場だが、1637年2月3日、あっけなく崩壊した。
金塊どころかB-2爆撃機並に価格が高騰した球根を、当の園芸家が全く買いたがらなかったからである。
ましてや、買い手の付かない球根に大金を出すようなアホな投機家もいるはずもない。
上手く売り切ってひと儲けした者もいたようだが、売れない球根と多額の債務を抱えた投機家たちは、一挙に破産した。
のっぴきならぬ事態に政府が重い腰を上げ、チューリップの取引を規制することで、一応事態は収束。
バブル期に作り出された数々の珍しい球根は、そこそこの値段で海外へ輸出できたので、なんとか経済は回復した、というが・・・
一体何が彼らをそこまで熱狂させたのか。もはや今となっては語る者もなく、謎は歴史の闇の中である・・・。
団長諸兄も、投機、投資はくれぐれも慎重に行って下さい。
「あなたを儲けさせます」なんてよくある話、実態は「あなたをダシにして私が儲けます」というもの。
きっと当時もそんな話はあったのだろう。しかし、美味い話とはそうそう無いものである・・・。
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