ヘリオトロープ

ムラサキ科キダチルリソウ属の総称で、ペルー原産の多年草である。
寒さに弱く、日本では冬に枯れてしまうことも多いため、一年草として扱われる場合もある。
フランスの園芸家が1757年にパリに種子を送ってから世界各国に広まったもので、
日本には明治時代に伝わって来ている。
和名は「キダチルリソウ」で、香水の原料にもなるバニラのような甘い香りから「コウスイボク」の別名もある。
他には「ニオイムラサキ」や、さらに英名には「Cherry pie（チェリーパイ）」という別名も。
ヘリオトロープの香水は、日本に輸入されて市販された初めての香水と言われており、
夏目漱石の小説「三四郎」にも、この名前の香水が登場している。

この花の名前はギリシア語の「ヘリオス（太陽）」と「トロペ（回転）」から来ており、
「太陽に向く花」という意味になっている。
発見当時、この花は太陽の方を向いていて、動きに合わせて回るものと思われていたことが由来である。
この話を聞くとヒマワリのことが思い出されるかもしれないが、
ヒマワリは実際に若い苗の頃から蕾を付ける頃までは太陽を追いかけるような動きをするのに対して、
ヘリオトロープは実際に向きを変えて動くことはないようである。
（余談だが、ヒマワリも花が咲くと上記の動きをほぼしなくなるので、ヒマワリの花は大抵、東向きに咲いている）

ギリシア神話にもヘリオトロープにまつわる伝説があり、次のような話として語られている。

水の精クリティエはある時、太陽神ヘリオスと恋に落ちた。
しかし恋人になったのも束の間、ヘリオスはペルシア王オルカモスの娘、絶世の美女レウコトエに心変わりしてしまう。
嫉妬に狂ったクリティエが、厳格な父親オルカモスに娘の不義と、神との密通を殊更に脚色して告げ口すると、
気性の激しい父親は激怒して、娘を生き埋めにして命を奪ってしまう。
ヘリオスはこのことを知り、深い悲しみの底に沈むのであった。

恋敵への憂さは晴らしたものの、ヘリオスの心を取り戻すことは出来なかったクリティエは、自分の行いを恥じて
悲しみと絶望のあまりに９日間じっと座り、空を見上げてヘリオスを見つめ続けていた。
そしてクリティエはそのまま１輪の花、ヘリオトロープに変わってしまった。
彼女は花に生まれ変わってもなお、恋人の姿を求めて今も太陽を見つめ続けているのである。

ただし前述のようにヘリオトロープは南米大陸原産の花で、ヨーロッパに伝わったのは16世紀頃の話であり、
ギリシア神話の時代には知られていない。
実はギリシア神話で言う「ヘリオトロープ」とはキンセンカまたはカレンデュラのことであって、
これが南米原産のヘリオトロープに置き換わって関連付けられたのは、後世のことである。
ちなみにこのキンセンカ、昔はマリーゴールドと呼ばれていたこともあり、特にハーブ関係では未だにそう呼ばれることも多い。どこまでもややこしいやつである。

花言葉「献身的な愛」も上述の神話エピソードで、花に変わってもなお恋人を目で追い続けている、
というところから来ているのだが、実際にはある意味「身から出た錆」的なお話でもあるので
個人的には「献身的」というのには違和感がなくもない。

また絵画や芸術のモチーフとしては、上記のエピソードにまつわる花は
キンセンカでもヘリオトロープでもなく「ヒマワリ」が描かれることが多い。
（ヒマワリも「太陽の動きに合わせて向きを変える」性質から、ヘリオトロープと結びつけられることもある）
ヒマワリもアメリカ大陸原産の花なので、当然ながらギリシア神話の時代には知られていないのだが
大輪で華やかなヒマワリの方が強く印象に残りやすいため、モチーフとして好まれているのだと言われている。

3月の誕生石であるブラッドストーンもヘリオトロープの名で呼ばれることがある。
ブラッドストーンの産出地が古代エジプトの「ヘリオス（太陽）の街」を意味するヘリオポリスから産出されたことにちなむ。
名前が同じ花の方のヘリオトロープと同様に、その名前は「太陽を呼び戻す石」という意味を表している。

ちなみに、ヘリオトロープには肝機能障害を起こすアルカロイドが含まれている。
1992年にはタジキスタンで、小麦にヘリオトロープの種が混入していたために、数千人規模の
大規模な食中毒を出してしまった、という事故が起きている。
当時は政治的混乱のために小麦の収穫が遅れ、汚染に気付かずに流通してしまったのが原因とのことだが
この時の致死率は1.3%とも言われており、なかなかに危険な状況だったと言える。

有毒植物としてはあまり有名ではなく（そもそも肝機能障害を起こす毒草の例は少ない）
また前述のように甘い香りが強いため、知識の深くない所ではこの香りに誘われて
ハーブティーとして提供してしまうところもあるようなので、団長諸兄は充分に注意されたい。

バニラのような甘い香りが特徴。
また「チェリーパイ」という別名のとおり、フルーティでアーモンドに似た香りとも感じられる。
かつてはヘリオトロープの花から精油が抽出され、香水として用いられていたが、
希少なため今ではほとんどが人工の合成香料を用いたものになっている。

古くから流通していたこともあり、香水としては「昔の化粧品のような」…言い換えると「クラシカルな」香り。
安いものでは数百円程度で販売されているので、どうしてもヘリオトロープの匂いを嗅いでみたいなら購入してみるのも手。
また意外かもしれないが、男性用の香水にもヘリオトロープの香りが使われているものがいくつかある。
たいていはミドルノートに使用されている。こちらは数千円～で、安売りで二千円台くらい。
（※香水はトップ → ミドル → ラストと香りが変化する）

さすがに買うのは恥ずかしい、というダンナさまは…。
「バニラとアーモンドの香り」を想像して頂ければ、だいたい想像がつくと思われますです。

開花後