バナナオーシャンの巫女、その透き通った黒い瞳とたれ目気味のアイラインは見る人に柔らかな印象を持たせ、腰まで伸び殆ど癖のついてない黒髪には吸い込まれるような魅力がある。さらに白い巫女服とカチューシャに付いた紫の桔梗の花がこの美しさをさらに引き立ててくれる。
女の子座りで杖に乗って移動する際にもまたこの髪がふわりと広がってゆくであろう。この黒目・黒髪は世界に誇れる日本人の美、まさにアジアンビューティーである。
進化前のモデル立ちとニーソックスが華奢でありながらも健康的な足を引き立てている。
そして進化後の姿を見よ。フリッフリでプリップリのプニップニだろう。激しい動きによって舞い広がる黒髪と振袖、そしてはだけた巫女服。誰もが凝視してしまうであろうこの姿は色っぽさだけはない。そこには可愛らしさ、美しさ、そして相反するはずの神聖さまでをも兼ね備えているのだ。
まさに神の御使いとして十分。神様もベタ惚れ間違いなしである。
そんな大和撫子のような容姿を持ちながらも、彼女の内面にはそれに反して周囲を元気づけてくれる快活さがある。
あのタチバナさんも「型破り」という言葉を称賛の意を込めて使っている。ただの破天荒なだけではタチバナさんに一目置かれるはずがない。つまりキキョウには強い芯がありながらもしっかりとTPOを弁えているということを示唆している。ただ元気なだけではないのだ。
加えて、たとえ自身を害するようなことがあっても、それを気に病むこともなく笑って流せる器量の良さが彼女にはある。
周りに変な服装と言われようとも、それは相手の無知からくるもの。害虫に対する攻撃もまた、自然や幸せを壊す行為へのお仕置きであり、これもまた愛である。
相手を決して見捨てたりはせず、時には笑顔で、時には厳しく正しい方向へと導こうとする、本当の意味での誠実さとはこういうものではあるまいか。
そしてこれは彼女が信奉する神様に対してさえもそうである。神様からの導きを信じる敬虔な彼女もまた、神様をより正しい道へ導こうとすることを決して忘れない。
これは日本古来からあった人間と神との関係の一つの形であり、それほどまでに彼女は敬虔で、なおかつ一途なのである。
より幸せで笑顔あふれる世界にしたいと祈り続ける彼女の、神にも負けないほどの強さがそこにはある。
留守を預かっているときを想像してほしい。ひざを折り、手を合わせ、安全と幸せを神に祈り続ける姿を。黒髪と巫女服をなびかせて奉納の舞いを捧げる姿を。美しい、とても神秘的であるとは思わないだろうか?
そして帰ってきたら満面の笑みで元気に「お帰りー!」と出迎えてくれる。それだけでその日の疲れが取れるだろう?
時には帰りが遅くなって怒られる時もあるだろうが、だがしかし文句を言いつつも許してくれる姿を見れば愛おしさを感じずにはいられない。
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