ベラドンナ

ベラドンナは、ナス科オオカミナスビ属の多年草。ヨーロッパから西アジアにかけての原産で、山中の日陰を好んで自生する。別名オオカミナスビ、セイヨウハシリドコロなど。
初夏に紫色の小さな釣鐘型の花を咲かせ、その後には黒真珠を思わせる漆黒の球果を結実する。
"Bella Donna"とはイタリア語でズバリ「美女」を意味する名である。この植物の抽出物には瞳孔を大きく開かせる(医学用語で「散瞳」とよぶ)作用があり、
ルネッサンス期のイタリアでは、大きく美しい瞳に憧れる女性たちがベラドンナエキスを目薬に用いていた、という逸話に由来してこの名が付いた。
しかしながら、ベラドンナは強力な有毒植物としても知られており、こうした作用も毒によるものにほかならない。
ベラドンナは古くから魔女がとりわけ好む毒草といわれ、魔女の草とも称された曰くつきの毒草であった。
オオカミナスビ属の学名"Atropa"は運命の糸を断ち切る女神アトロポスに由来し、その毒性の強さを物語っている。
英名でも"deadly nightshade"、すなわち「死ねるナス」の名で呼ばれている。

ベラドンナは別名をセイヨウハシリドコロと呼ぶが、ハシリドコロとは山菜と間違えられやすいことで有名な、同じナス科の毒草である。
食べると錯乱して走り回るということからハシリドコロと呼ばれているのだが、ベラドンナはこのハシリドコロと近縁で、その成分や中毒症状もよく似ている。
ベラドンナに含まれるアトロピン、スコポラミン、ヒヨスチアミンなどのアルカロイドは抗コリン作用を持ち、副交感神経を遮断、抑制する働きがある。
中毒に陥った場合、神経の異常興奮を引き起こし、散瞳、心拍の増加、せん妄や幻覚などの症状が表れ、最悪の場合呼吸停止により死に至る。
全草有毒で、特に地下部の毒が強いが、葉の表面にも有毒な油が染み出しており、触れるとかぶれることがある。またその手で食事をしたり目を掻いたりすることも危険である。
このような毒性が明らかであったにも関わらず、中世の女性たちは美しさのために、ベラドンナの目薬を求め、そして少なくない犠牲者を生み出していたという。
また、かつて魔女と呼ばれていた人々はこの毒草をとりわけ好み、毒薬や空を飛ぶ軟膏(ぶっちゃけると幻覚剤)の調合に使用していたため、魔女の草とも称された。
ちなみにだが、ブルーベリーのような果実は甘くて美味しいらしい。まさに天国の味ということだろうか。味覚でも人間を誘惑してくるとはなんという魔女…！

しかし毒になるということは、使いようによっては薬になるということでもある。ベラドンナから抽出した硫酸アトロピンは、医薬品として様々な局面で利用されている。
最もわかりやすい例としては、散瞳薬としての利用が挙げられる。これは目の検査をやりやすくするために、瞳孔を開かせる点眼薬である。
美容目的で未だにアトロピンを含む目薬も存在している。もちろんいずれも人体に安全なように調整されているので安心してほしい。
全身麻酔を伴う外科手術の術前投薬にも硫酸アトロピンが使われる。術前投薬は自律神経の働きをある程度抑制しておくことで、麻酔の入りをスムーズにするなどの役割を持っている。
また、花粉症モチィの方々は服用している鼻炎薬の成分を見てみると良い。もしかすると「ベラドンナ総アルカロイド」の表記があるかもしれない。具体的にはT製薬のパ○ロンなんかに入っているはずである。
あるいは「ロートエキス」「ダツラエキス」等の表記があるかもしれないが、ロートとはハシリドコロのこと、ダツラ(チョウセンアサガオ)も同じナス科の植物で、いずれも似たような成分である。
これらは抗コリン作用により鼻水の分泌を抑える働きを持つのだが、鼻炎薬の副作用にありがちな口の渇きもまた、その副作用であったりする。
有機リン剤による中毒では、神経末端のアセチルコリン濃度が爆発的に上昇し、副交感神経を異常活性化させる。副交感神経を遮断するアトロピンは、この中毒の解毒に有効である。
有機リン剤は農薬や殺虫剤によく用いられるが、一部の神経ガスにも利用される。その中で最も有名なものがイソプロピルメタンフルオロホスホネート、通称サリンである。
かの忌まわしき地下鉄サリン事件でも、硫酸アトロピンは多くの中毒患者の命を救った。かつては魔女の草と恐れられた毒草が、現代の化学テロに対抗するとは、世の中わからないものである。
有機リン剤中毒にはPAM(プラリドキシムヨウ化メチル)という薬剤が特効薬とされるが、これは本来、農薬中毒に対しての使用を想定していたものであり、
あの事件のような大規模な中毒に対して、十分なストックが存在しなかったため、急遽全国からPAMとともに硫酸アトロピンを取り寄せることになった。

ここでの魔女の話は、ドイツの文学者ゲーテの『ファウスト』で書かれている【ヴァルプルギスの夜】での描写が元になっている。
だが、実際の魔女に関しては裏話があって、『魔女裁判』で魔女とされた人々が誘導尋問をさせられていた、という話も残されている。

魔女とされた人々は年齢･性別等を問わず、古代ゲルマンの神々を信仰していた、という共通項がある。
服装に関してもマントやローブといった、いかにも魔女然としたものではなく、当時の一般庶民のものと同じであったとも伝えられている。
魔女とされていた人々の中には、薬剤師や医者や学者もいたことも、【魔女の軟膏】の成分に薬草が多く使われているとされる根拠の一つになっている。
(魔女裁判の審議官が誘導質問する際、『魔女が悪魔から貰った知識や薬で魔女の軟膏を作った』という結論ありきで、【魔女＝悪魔の手先】という図式を作り上げてしまったともいわれている)
(詳しくは【魔女裁判】で検索すると色々出てくるので、ここでは割愛させてもらいます)

では、本来のヴァルプルギスの夜ってナニ？と首を傾げる団長さん達も多いだろう。
初めに【ヴァルプルギスの夜】の事が紹介されたのは、ドイツの民俗学者プレトーリウスの『ブロッケベルグの仕業』(１６６８年)といわれている。
※ブロッケベルグとは、ドイツのブロッケン山の愛称である。
　解りやすく言うと、【ブロッケン現象】と同じ地名のブロッケンのこと。

• ４月３０日　冬の魔を祓い、翌日の春を喜ぶ夜(ヴァルプルギスの夜)
• ５月　１日　春の訪れを祝い、夏の豊穣を祈る日

で、４月３０日には、ハルツの人々は近くにある高い山(ブロッケン山)の上で踊ったり歌ったりして、冬の魔を祓ってくれるように、豊穣であるように、彼らの神に祈った。

『ハルツのすばらしい伝説』(ヴィゼンミュラー編)、『魔女の薬草箱』を読むともっと詳しく書かれているので、もし時間があれば探してみては如何だろうか？

※地名のハルツ(Harz)は、ニーダーザクセン州とチューリンゲン州の一部、ザクセンアンハルト州の半分を含む山岳地帯。
近くにあるのはドイツ名所の一つ、ブロッケン山である。

つまりは、日本での五穀豊穣の様なイベントであった、と。

追記：
魔女の軟膏の成分は『幻想や浮遊感覚を生み出す成分があるベラドンナ、ケシ、アサ、チョウセンアサガオなどをベースにして作られた』など、文献によって記述が異なっている。
ちなみに、ハルツの土産物屋では、名物【魔女の薬草酒】(クローブや、薬用サルビア、シナモン、月桂樹の葉、ネズの実など香りの強い薬草をリキュールに浸けたもの)が売られている。