ほととぎす 鳴くや皐月の あやめ草
あやめも知らぬ 恋もするかな
(古今集・よみ人しらず)
アヤメ科アヤメ属の多年草で、ノハナショウブを原種とする園芸種。
アイリス(ダッチアイリス)やジャーマンアイリスの近縁種でよく似た花をつけるが、あちらが地中海原産の系統を先祖に持つのに対して
こちらは日本原産の固有種である。
江戸時代始めごろまでに栽培品種化されたと言われており、江戸時代中期頃には各地で盛んに栽培されるようになっている。
この頃から育成地ごとにそれぞれ系統が分かれてゆき、大別すると江戸系、伊勢系、肥後系、長井系、アメリカ系などがある。
これらのうち、最も古く種類も豊富なのは江戸系で、こちらは江戸時代に初の花菖蒲園、「堀切菖蒲園」が江戸の堀切に開かれて
そこで盛んに育成・繁殖されるようになったのが基である。
堀切に花菖蒲が初めて伝来したのは、一説では室町時代に堀切村の地頭が奥州・安積沼から「花かつみ」の種を取り寄せ、
自邸で栽培したのが始まりという。
ちなみに「花かつみ」とは万葉集や古今集にも数多く詠まれる「幻の花」で、古くからカキツバタやハナショウブ(ノハナショウブ)が
この花と関連付けられており、古今集の有名な歌に登場したことから安積沼の「名物」として見られていたもの。
(江戸時代中期には、松尾芭蕉が「花かつみ」を求めて安積沼を訪ね歩いたが、現地でも既に知る人はなく、見つからなかったという話が残っている)
この花の正体は諸説ありハッキリしないが、マコモやデンジソウ、ヒメシャガ、ハナショウブが有力な候補と言われている。
閑話休題。
堀切ではその後、江戸時代には切花を江戸に出荷する一大生産地となっていたが、江戸時代の後期に花菖蒲の愛好家・松平菖翁から
彼が育てた数多くの品種を譲り受け、それらを栽培するようになったのが、当地の花菖蒲園の始まりと言われている。
こうして堀切での花菖蒲栽培が盛んになると、江戸の町人たちの間でも堀切が手頃な行楽地として人気が高まり、大ブームとなるのである。
このように庶民に広く開放されブームとなった「江戸系」とは対照的に、「伊勢系」や「肥後系」は一部の上流階級が鉢植えとして鑑賞するために
品種改良が行われ、代々受け継がれていったものである。
特に肥後系は、開祖の肥後藩主・細川斉護が松平菖翁から秘蔵の苗を譲り受けた際に、
菖翁から「普通の植木屋に渡すとみだりに広まるから、誰彼構わず渡すことなく、必ず秘蔵するように」
と申し付けられた言葉を固く守り、このことが熊本における肥後系花菖蒲の門外不出の鉄則となったのである。
以後、大正末期に一度だけ門外不出が破られたために、今では肥後系の花菖蒲を一般人も見ることができるようになったのだが、
この肥後系花菖蒲を代々管理している熊本花菖蒲満月会では、今日でも門外不出を固く守り、松平菖翁の正統として数々の品種を守り継いでいる。
(この肥後系花菖蒲については、写真をHPに掲載することさえ許可をもらうのが大変だとか・・・)
さて、ハナショウブのことを慣用的に「アヤメ」と呼ぶ場合も多いが、この場合はほとんどが「アヤメ類の花の総称」として
これらをまとめて「アヤメ」と呼んでいるので、あながち間違いではないとも言える。
『いずれアヤメかカキツバタ』という慣用句もある通り(詳しくはアイリスの項を参照)、素人には見分けがつきにくいことが多いが
ハナショウブは上の2種と比べて「葉が太く葉脈がハッキリと見える」という特徴があり、やや見分けやすいかもしれない。
またハナショウブは花びらの根本に鮮やかな黄色の眼のような紋があるのも特徴で、さらに花の色には紫や赤紫だけでなく、
紋型や覆輪(フチドリのこと)など、アヤメやカキツバタよりも様々な色がある点も違いである。
ちなみに端午の節句で風呂に入れる「菖蒲(ショウブ)」は、サトイモ科の別の花である。(漢字を訓読みすると「あやめ」になるのだが・・・)
古代の日本では、葉の形が似ているアヤメとショウブをあまり区別していなかったせいで、実際古い日本語ではこのショウブのことを「あやめ」と呼んでいる。
(おそらくその頃の社会では、花よりも葉の方を生活の中で重視していたためであろう)
ハナショウブを含むアヤメ類には、風呂に入れても特に薬効などはなく、むしろ皮膚炎や下痢を起こす毒性を全草にもつので、絶対に風呂に入れてはいけない。
(※つまりハナショウブさんが入っている風呂に侵入したりすれば、おそらく容赦なくイベント寸劇でのような罵声が浴びせられ酷い目にあうだろう)
ハナショウブ専門の図鑑やサイトには、品種名とともに「三英」「六英」といった表記が見られる。
これはハナショウブ独特の花の形を表す表現で、外側の大きな花びら(外花被が6枚のものを六英花、3枚のものを三英花と呼んでいるもの。
他の花では見られない独特な呼び方なので、知らないと最初は戸惑うかもしれない。
また明治になってハナショウブが輸出されるようになると、アメリカや欧州では「ソーサーアイリス」と呼ばれて一時人気になったと言われる。
現代では日本人の好みも欧米風に変わって来たため下火になっているが、当時は
「受け咲き」という、花びらが垂れずに平たく咲く品種が江戸(東京)で流行っていたためである。
このように日本の園芸植物として長い歴史を持つ花なので、様々な独特の文化があって、日本史や和風文化が好きな団長には興味深いのではないだろうか。
東京近郊であれば前述の堀切菖蒲園や明治神宮の花菖蒲園には、江戸の雰囲気を残す品種も多く栽培されておりお勧めである。(ダイレクトマーケティング)
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