Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
war so jung und morgenschön,
lief er schnell, es nah zu sehn,
sah's mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
Knabe sprach: "Ich breche dich,
Röslein auf der Heiden!"
Röslein sprach: "Ich steche dich,
dass du ewig denkst an mich,
und ich will's nicht leiden."
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
Und der wilde Knabe brach
's Röslein auf der Heiden;
Röslein wehrte sich und stach,
half ihm doch kein Weh und Ach,
musst' es eben leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
(ゲーテ 1799 「野ばら」)
バラ科バラ属の総称で、低木や灌木またはつる性で、葉や茎に刺があるものが多い。
園芸種は八重咲きのものがほとんどだが、原種は花びら5枚と多数の雄しべを持つものがほとんどである。
日本語では「薔薇」の字を当てるが、元々は和語(やまとことば)で「茨(いばら)」が転訛したものとされる。
原種は北半球の温帯域に広く自生しているが、南半球には自生していない。
花言葉は色によって異なる。「情熱」は赤いバラの花言葉である。情熱のぉー赤いバラぁー♪
ちなみに、気を付けたいのが黄色のバラ。花言葉は「嫉妬」「愛情の薄らぎ」。「友情」というのもあるが、恋人への贈り物には向かないだろう。ミッターマイヤー・・・
色で花言葉が変わることは珍しくはないが、贈り物として非常に人気があるためか、花の形、本数、色の組み合わせにまでそれぞれ花言葉が存在する。
例えば本数による違いは以下のとおりである。大切な人にバラの花束を贈ったり、バラさんがダブったりしたときには思い出してみよう。
1本 一目ぼれ、あなたしかいない / 2本 この世界は二人だけ 「お友達も、家族も、仲間も。国だっていらないんですよ?」
3本 愛しています、告白 / 4本 死ぬまで気持ちは変わらない / 5本 あなたに会えて心から嬉しい / 6本 あなたに夢中
7本 ひそかな愛 「えへ、えへへぇ・・・」 / 8本 あなたの思いやりと励ましに感謝します / 9本 いつも想っています、いつまでも一緒に
10本 完璧、かわいい 「完璧さは作れるんだから!」 / 11本 最愛、あなた1人だけ / 12本 永遠・真実・栄光・感謝・努力・情熱・希望・尊敬・幸福・信頼・誠実・愛情
13本 永遠の友情 / 14本 誇り 「誇りのためならなんだって・・・で、できますよ!?貴族ですから!」 / 15本 ごめんなさい 「し、死にますぅ!」
16本 落ち着かない愛 / 17本 取り戻せない絶望の愛 / 18本 誠実 / 19本 忍耐と期待 / 20本 感謝、真心 / 21本 真実の愛 / 22本 幸運をお祈りします
24本 一日中あなたを想っています / 25本 あなたの幸せを祈っています / 30本 信じれば縁がある / 36本 覚えています、ロマンチック / 40本 真実の愛
44本 変わらぬ愛を誓う / 50本 出会いは偶然、恒久 / 99本 永遠の愛 / 100本 100%の愛 / 101本 最愛、あなただけ / 108本 (結婚しよ)
365本 毎日君が恋しい / 999本 何度生まれ変わってもあなたを愛する 「死んでも戦い続けますから」 / 100万本 あなたにあなたにあなたにあげる♪
12本のバラはダーズンローズ(dozen rose)とも呼ばれ、欧米では恋人に贈ると幸せになれると言われており、結婚式などでも贈られることがある。
ちなみにしおれたり枯れたりしても花言葉が変わる、というかそんなもの贈るな。
観賞用の花として非常に馴染み深いバラだが、人間との関わりは非常に古い。バラの歴史の流れをざっと記してみよう。
人類の歴史に初めてバラが登場したのは古代バビロニア時代で、「ギルガメッシュ叙事詩」には『薔薇は永遠の命…』と記されている。
絵画としてはクレタ島のクノッソス遺跡の壁画が最古のものとされており、この頃には既にバラが栽培されていたことも確認されている。
また古代ギリシアでは美の女神アフロディーテと関連付けられ、これらを引き継いだローマ神話でも同様にヴィーナスと関連付けられており、彼女らにまつわる神話も数多く存在する。
そしてプトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラのバラ好きは特に有名で、寝室にはひざの高さまでバラを敷き詰めたり、
バラの香油を風呂に入れてつかったり、シーザーやアントニウスを迎える時は廊下をバラで埋め尽くして出迎えたなど、様々な逸話が残っている。
暴君で知られるローマ帝国の第五代皇帝ネロもバラ狂いで知られた一人で、晩餐会の部屋をバラで埋め尽くし
天井からはバラの花びらを雨のように降りかけ、銀のパイプからはバラの香水がテーブルに降り注いだという。
ネロの妃ポッパエアの葬儀に用意させたバラの香料は当時のアラビアの年間生産量を越え、香りは4キロ四方を満たしたとも。
さらにはローマ帝国が誇れない変態皇帝ヘリオガバルスの逸話のなかに、「客人に薔薇の山を落として窒息死させるのを楽しんだ」というくだりがある。
日本にもノイバラ、テリハノイバラ、ハマナスなどの原種が自生しているが、近代以前の日本では
あまり観賞用としての関心は持たれず、むしろ「人の立ち入りを拒むトゲトゲの植物」という認識が強かったようで,
その名残は「茨城」などの地名にも見ることができる。
「茨城」の由来は諸説あるが、そのうちの1つに、朝廷から派遣された国司の黒坂命が
人々を悪賊から守るために茨で城を築いて追い返した説話が元、というものがある。
現代の有刺鉄線のような扱いだったのだろう(有刺鉄線のことを俗称で「バラ線」などとも言うが)。
ちなみに茨城県の「県の花」は県名の由来と言われるバラで、県旗もバラを象ったものになっている。
また江戸時代初期には西洋から園芸種のバラが持ち帰られ、当時の日本では園芸が身分問わず流行していたため
バラもいくつかの種類が栽培されていたが、園芸品目としてはアサガオの大ブームに隠れて、江戸時代ごろの間はバラの人気はあまり高くなかったようで、
日本で本格的にバラが栽培されて世界に並ぶような育種が始まるようになるのは、明治以降のことである。
ヨーロッパでは中世に入ると、禁欲的な道徳観から教会が「人々を惑わすもの」として一般人の栽培を禁止し、神に捧げる供物や薬用品として
教会や修道院だけが栽培するようになっていたが、一方、中東のイスラム世界では白バラが預言者ムハンマドを表すもの、赤バラがアッラーを表すものとされており
宗教儀式にローズウォーターが重宝されたり、また錬金術の原料としてローズオイルが多用されるなど、バラの文化が強く残っていた。
その後、十字軍によってこれら中東のバラがヨーロッパに持ち帰られ、またルネサンスによって文化復興の機運も高まってくると
ヨーロッパ社会でのバラへの関心も復活し、世界的にバラの栽培が一般的になってゆく。
この頃になるとメディチ家の庭園にはバラ園が作られ、ボッティチェリが描いた「春(プリマヴェーラ)」や「ヴィーナスの誕生」にも
それらのバラが克明に描かれているのを見ることができる。
更に時代が下り19世紀になるとバラの栽培も飛躍的に発展し、現代に続く栽培技術の基礎が築かれることになる。
18世紀末にヨーロッパに伝わっていた、中国のコウシンバラや日本のノイバラなどが交配され、四季咲きや多花などの性質を獲得すると
様々な種類の鮮やかなバラが次々に生み出されていく。
この時期バラの発展に大きく貢献したのはナポレオン妃のジョセフィーヌで、世界各地から植物を集めてマルメゾンに庭園を作り、
20年足らずの間に4800種類以上の品種を収集・作成している。
そして1867年、フランスのギョーによって生み出された「ラ・フランス」はハイブリッド・ティー系の元祖と言われ、
これが今日まで続くモダンローズ時代の幕開けとなるのである。
現代でもバラの品種改良と研究は盛んに進められており、その中でも特に、かつては不可能とされた青いバラを生み出す研究は世界中で熱心に取り組まれている。
2010年に生み出されたノヴァーリスもその1つで、他にはサントリーが遺伝子組換えにより開発した「青いバラ」なども記憶に新しいところである。
※筆者としては個人的には、このサントリーの青いバラのような遺伝子組み換え作物を露地栽培にまわすことにはどちらかと言うと否定的ではあるが、
それでも純粋な科学技術の発展という意味では、サントリーが挙げた成果は非常に素晴らしいものではあろう。
さて、冒頭に掲げた詩は有名なゲーテの詩の原文。音楽としてはシューベルト作曲のものとウェルナー作曲のものがあり、いずれも合唱などで
あちこちで使われているので、これらを耳にしたことがある団長諸兄も多いのではないだろうか。
日本語訳はググればたくさんヒットするので、正確な訳はそちらにお任せするが、この詩はざっくり言うと、
ゲーテが若い時に捨てた昔の恋人に対する自責の念を、手折られてもただ耐えてそこにあり続ける野ばらと、それを欲望のままに手折ってしまった若く無分別な少年、
という2者を対比させた情景に込めているもの。
「野ばら」の曲はどちらも明るくて軽やかな曲調だが、詩の意味を思いながら聞くと、明るい曲に似合わないような内容に却って切なさが増すのかもしれない。
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