夜の空に太陽を探しだすのはむづかしい。向日葵が戸惑つてゐるのも無理はない。
……しかし夜は長くない。いづれ朝が来る。向日葵は朝になればにつこりする。
キク科ヒマワリ属の一年草。天高く咲く黄色い大輪の花は「太陽の花」とも呼ばれ、夏の風物詩として親しまれている。
同時に、二十歳を過ぎた人間に強烈なノスタルジーを喚起させ、死に至らしめる非人道的生物兵器でもある。
ヒマワリが太陽の象徴というのは世界的な共通認識であるらしく、英語でヒマワリのことを"sunflower"と呼ぶほか、
学名の"Helianthus"も「太陽の花」を意味するラテン語である。他にも多くの言語で同様の表現が見られる。
日本では観賞用としての印象が強いヒマワリだが、世界的には植物油脂の原料となる重要な農産物として認識されている。
ヒマワリ油は日本では馴染みが薄いが、パーム油、大豆油、菜種油に次いで、世界で第4位の生産量を誇る植物油である。
食用油としては、油臭さが無くてあっさりとした風味を持ち、特に用途を選ばない。安価に大量生産できる点も特徴。
成分としては、多価不飽和脂肪酸のリノール酸が豊富。一時期、血中のコレステロールや中性脂肪を下げるとして注目されたが、
最近の研究では、過剰摂取はアレルギー症状を悪化させたり、心血管疾患、ガンなどのリスクを高めるということが判っている。
リノール酸は生体内で合成できない必須脂肪酸であり、食品から摂取する必要があるのだが、
一日の必要摂取量はご飯3杯で十分であり、日本人は慢性的にリノール酸を過剰摂取しているといわれている。
最近ではリノール酸含有量を減らし、ヘルシーな脂肪として話題のオレイン酸含有量を増やしたヒマワリ油が増えつつあるが、
日本ではヒマワリ油がまだ割高ということもあり、積極的に使用する機会はあまり無いかもしれない。
だが、ヒマワリちゃんのお汁ぺろぺろしたいということであれば、それを止める道理も無い。
原産地は北アメリカ西部とされ、古来よりインディアンとの関わりが深く、食用に栽培もされていた。
かのマンコ・カパックが治めたインカ帝国でも、太陽を連想させる花が太陽神信仰と結びついたためか、
ヒマワリは神聖な花として尊ばれ、国花にも指定された。なんたって可愛いからな、女神になるのも仕方がない。
一般にデカいと思われているヒマワリだが、原種はそれほど大きい花ではなく、背も低かったらしい。
現在の姿になったのは農業用や観賞用として品種改良されてきたためで、採油用品種は草丈3m,花径30cmになるものもある。
かと思えば、品種改良で大きくなったヒマワリを品種改良で小さくしたミニヒマワリとかいうよく分からないものもある。
16世紀、コロンブスによる「新大陸の発見」以降、ヒマワリはヨーロッパに渡り、
大陸各地へと伝播していった。日本にも中国を伝わって17世紀にやって来ている。
最も盛んに栽培されたのは意外や意外、極寒の地ロシアであった。Ураааааааааааа!!
まるでイメージにそぐわないが、高緯度にあるロシアは夏の日照時間が長いため、
越冬しない一年草のヒマワリには、案外過ごしやすい土地なのかもしれない。
ロシア正教では受難週にあたる期間に禁食が行われ、油脂などの摂取を禁じられるのだが、
ヒマワリの種だけはなぜかレギュレーション的に無問題だったらしく、皆でヒマワリの種をポリポリしていた。
その結果ロシアは食用ヒマワリ先進国となり、世界一のヒマワリ生産量を誇るヒマワリ大国になった。どんだけポリポリしたんだ。
第二次世界大戦下の独ソ戦では、ソ連赤軍はヒマワリ油を、戦車や小銃の潤滑油として使用していたという。
凝固点が低く、低温でも凍結しにくいヒマワリ油は「涙さえも凍るマイナス50度の氷の戦場」でも、兵器の確実な作動を保証したのだ。
対するドイツ軍は冬将軍の猛威に苦しめられ、十八番の電撃戦に失敗、独ソ戦は泥沼化を余儀なくされた、というのは有名な話だが、
その背景には、厳しい寒さにもめげないヒマワリ油の活躍があったということである。ヒマワリは戦士たちの心強い相棒でもあったのだ。
今でもヒマワリはロシアの国花であり、ヒマワリの種はロシア人の大好物。Хорашо!
暇さえあればポリポリしている。日本人にとっての煎餅やおかきに近い感覚だろうか。
ヒマワリの種が好きなのは何も人間だけではない。
なにを隠そう、ひまわりの種といえばハムスター。"大好きなのはひまわりの種"と、世界一有名なハムスターも歌っている。
ハムスターだけに限らず、小動物や小鳥たちもヒマワリが大好物である。
無論、油脂分の多いひまわりの種だけをペットに与えるのは御法度。デブまっしぐらである。
あくまでもおやつやご褒美として与える方が望ましい。
もちろん人間でも同様である。ヒマワリ油の性質については先述したとおり。
ヒマワリは芸術作品のモチーフとしても多く登場する。特に有名なのがヴィンセント・ファン・ゴッホの絵画だろう。
ゴッホもヒマワリを太陽の象徴としていたらしく、特に1888年の暖かな南フランスでの画家活動中に多くのヒマワリを描いている。
実はゴッホは生涯で12枚ものヒマワリを描いており、うち7枚の花瓶に挿したヒマワリを描いたものが南フランス時代の作品とされる。
更に15本のヒマワリ2枚、12本のヒマワリ3枚は同じ構図の模写であり、ゴッホのヒマワリへの思い入れの強さが伺える。
ちなみに、15本のヒマワリのうち1枚は、1987年に安田火災(現・損保ジャパン)が3992万1750ドル(当時のレートで58億円)をじゃぶじゃぶして落札した。
現在、東京都新宿区にある東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館に収蔵、展示されており、いつでも見ることができる。
眩しいばかりの黄色で描かれたヒマワリからは、南フランスの暖かな夏が感じられるような、そうでもないような。
しかし、7枚のヒマワリを描いた直後、ゴッホは精神病の発作を起こし、自分の耳を切断する。精神病院に入院してからは、彼はヒマワリの絵を一切描いていない。
以来、結局彼は二度とヒマワリを描くことなく、2年と経たずに37歳の若さで自らの命を絶った。
――ちなみに、ヒマワリの品種には、名画のヒマワリをイメージしたシリーズが存在する。
「モネのひまわり」、「ゴーギャンのひまわり」、「マティスのひまわり」、
そして「ゴッホのひまわり」が、現在でも元気に黄色い花を咲かせている。
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